八雲空の絵空事スケッチ

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サイコロジカル(西尾維新) 再読した感想

だいぶ目標に対してペースが遅い気もするけど、とりあえずサイコロジカル上下で2冊読んだ。

 

再読だったわけだが、そもそもなぜ再読したかというと、前に読んだ時に兎吊木が生きてるという結末に納得がいかなく、それを解消するためというわけだ。

そんなわけで今回は納得できる論理を絶対に読み取るぞという気で読んだのだが、僕も賢くなっているのか通読するだけで簡単に理解できた(というか昔のぼくが如何に何も考えてない奴だったことか…)。とはいえ文中には兎吊木が死んだと明確に描写されていて、作者からすればそれはいーちゃんという語り部からの視点を書いたまでであるという理屈なのだろうけれど、それでは騙し放題なわけで、結局戯言な物語にすぎませんよと言い訳されているようで僕はこのような描写の仕方はあまり好きではない。けれどもこういうところがこの戯言シリーズの面白い部分であるのも確かで、言葉の持つ曖昧さという一面を極端なキャラに介在させることで感じさせてくれる作品であったとも思う。

 

僕は玖渚が好きだからこのシリーズを読んでいるときはよく彼女が何を考えているのか、何を思っているのかと思いを巡らすのだが、このサイコロジカルではその異次元さが垣間見えたようにも思える。結果的には玖渚は最初から事件の真相を看破していたうえで、マッドデモンにされるがままになり、解決に燃えるいーちゃんを自由にさせ、自分はただいーちゃんを待つという態度をとっていたわけだ。どういう思想かはわからないけれども、玖渚にとって自分自身やいーちゃんを含めた「人間」が、如何に陳腐で逸脱しない「存在」であるか、さらには「人」の持つ感性や思考といった「世界」が如何に価値を持っているかということを僕に感じさせた。

テンプレートな結びだが、やはり僕は玖渚のような超越した存在に常に憧れる。未来のサイコロの目は何か、過去がどうロジカルなのか、そんなことは言葉から生まれる戯言に過ぎず、リアルな現実に対して感じ、思考していくということに、玖渚は感じていないかもしれないけれど僕は幸せを感じられるようになりたいし、そのために努力を怠らないようにしたいと感想った。

 

 今日は晴れている